50年、まちづくりを続けて思うこと

須藤憲郎(渋谷未来デザイン コンサルタント)

2026年8月、私は72歳を迎えました。 22歳で渋谷区役所に土木技術職として入所以来、まちづくりの仕事に携わり続け、今年でちょうど50年になります。

一方で、2024年にがんを患い、現在も抗がん剤治療を続けています。病気は進行していますが、その歩みを少しでも遅らせながら、こうして今も現役で仕事を続けられていることに、深い感謝の念を抱いています。

休日に、ふと考えてみました。「私は何に、そして誰に感謝しているのだろうか」と。

50年という時間は長いようでいて、今の私にはまだ短く感じられます。「まだやり残したことがある」「実現したい都市の姿がある」「もっと時間がほしい」それが本音です。

私はガチの土木技術者として歩み始めました。しかし、いつしか単に道路や施設をつくることだけではなく、「人が集まり、暮らし、挑戦できる都市とは何か」を追及するようになっていました。

その思いがひとつの形になったのが、一般社団法人渋谷未来デザイン(FDS)です。

設立に向けては、本当に多くの方々に支えていただきました。当時の区長や副区長、小泉代表をはじめ、長田新子さん、金山淳吾さん、後藤太一さん、金行美佳さん。素晴らしい仲間との出会いは、偶然ではなく必然だったように思えてなりません。

そして現在も、久保田さんをはじめとする多くの職員・スタッフが、それぞれの個性と専門性を発揮しながらFDSを育て続けてくれています。

FDSは、一人の人間が作った組織ではありません。 多くの人の情熱と行動が重なり合い、育まれてきた「共創の場」です。 その歩みに関わってくださったすべての皆さまへ、心から感謝申し上げます。

 

渋谷区からの出向経験者たちと

 

これまでの50年間、私は道路行政においてさまざまな挑戦に関わってきました。 オランダの「ボンエルフ」の思想を取り入れたコミュニティ道路の整備では、散策路美術館ルートの構築、公園通り・井の頭通りの車道を縮小した歩道拡幅。当時は前例の少ない試みばかりでしたが、その後のウォーカブルなまちづくりやゾーン30といった「車優先から人間優先へ」という考え方への大きな流れができました。

現在も、渋谷では官民が連携した大山街道プロジェクトやほこみち制度を活用した公共空間の利活用など、新たな挑戦が続いています。

 

「散策路(美術館ルート)」1990年発行パンフレットより

 

井の頭通り歩道拡幅当時(2003年)の資料より

 

しかし、私にはまだどうしても実現したい都市の姿があります。 それが、フランスが発祥、ヨーロッパで広がっている「Ville apaisée(ビル・アペゼ:安らぎのある都市)」という思想に良く表されています。

これは単に自動車を減らすことではありません。 人も、自転車も、車も、それぞれが適切な役割を持って共存し、「交通空間」を「豊かな社会空間」へと昇華させていく設計思想です。

都市の価値は、建物や道路のハードだけで決まるものではありません。人が安心して歩き、出会い、挑戦し、新しい価値を共につくれること。その積み重ねこそが都市の魅力であり、人々のウェルビーイング(幸福)につながると信じています。

 

井の頭通り 整備前の混沌とした様子
井の頭通り 当時の整備イメージ図
井の頭通り 整備後

 

だからこそ、FDSが取り組むプロジェクトの多くが公共空間を舞台にしていることには、極めて大きな意味があります。広義の公共空間こそが、都市の未来を育む実験場だからです。

私はこれからも、まちづくりの現役であり続け、さらに、人間中心の「ウォーカブル」を超えて、「歴史的場所性の復元」や「生物多様性(More-than-human)」、「都市間連携による子どもの感性育成」も視野に入れ、未開拓な都市像へも挑戦していきたいと考えます。 そしてFDSには、これからも人と人をつなぎ、新たな挑戦を生み出し、都市の価値を育て続ける存在であってほしいと願っています。

これまで私に関わってくださった、すべての皆さまへ。 心からの感謝を込めて。

 

2026年8月 須藤 憲郎

ラックスマンの管球アンプとJBLで時々アナログ盤も聴きながら、山積みの都市計画、芸術、文学、アート関連の既読、増え続ける未読書籍の中で「陰翳礼讃」も忘れまいと、畳、障子と襖の空間に机を置いた仕事部屋に於いて書す。

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