渋谷未来デザインには組織の立ち上げから携わり、現在も渋谷未来デザインのフューチャーデザイナーを務めている、特定非営利活動法人シブヤ大学代表理事/一般社団法人マネージング・ノンプロフィット代表理事の左京泰明さん。今回はあらためて、左京さんがこれまで取り組んできたこと、これから取り組んでいきたいことについて、訊いてみました。
取材・文:天田 輔(渋谷未来デザイン)
大企業からNPOに転じた“変わり者”の胸の内
—— 左京さんのこれまでの活動についておしえてください。
気が付けばもう長い間、渋谷で活動してきていますが、渋谷でNPOの活動をする前は商社に勤めていました。当時00年代初頭は、いわゆるソーシャルビジネスというものの黎明期で、社会課題の解決にビジネスの手法を使うというそのやり方が、僕はすごく面白いなと思ったんです。その頃はまだそれを生業としている人は少なくて、だからこそやってみたいなと。そんなときに、当時先進的な実践者として注目されていたのが、NPO「グリーンバード」の代表だった、現・渋谷区長の長谷部さんでした。
2005年には僕は商社を辞めて、グリーンバードの副代表になるんですが、その頃はNPOというものもまだ珍しくて、雑誌やテレビの取材まで受けました。大企業を辞めてNPOに移ったっていうことで…。
—— つまり、そんな“変わり者”がいるぞ、っていう意味での取材ですよね?
そうです。「そんなことして不安じゃないんですか?」って。いまではそんなことはないと思いますけど、その頃はそういう時代でした。
そして、長谷部さんが当時区議として発案していた、渋谷区の新しい生涯学習事業「シブヤ大学」というものを、NPOというかたちで実現していこうという話になり、僕がそのリーダーになったのが2006年です。
シブヤ大学は街全体をキャンパスとして、先生と生徒も地域の人同士で、互いに学び合う生涯学習というのがコンセプトです。従来の社会教育事業と全くやり方の違うものでしたが、初年度から非常に反響が大きかったです。シブヤ大学の活動は今年で18年目になりますね。
渋谷で0から1をつくることにこだわる
—— 一方で、一般社団法人マネージング・ノンプロフィットの活動もされていますね。
マネージング・ノンプロフィットという団体を作ったのは2017年です。シブヤ大学の活動を通していろんな地域と関わっていると、それぞれの地域で市民活動を行なうNPOの方々と会う機会が多くて、地域の困りごとなどもよく見えてくるんですね。そういった地域の課題解決に取り組むNPOの支援をしていく団体が、マネージング・ノンプロフィットです。魅力的な活動をされている方々と出会って、「この人を手伝いたいな」という思いを行動に移しているという感覚です。
—— 渋谷の地域に関わることが多いですか?
はい。意識的にそうしていて、シブヤ大学もマネージング・ノンプロフィットも、渋谷以外には出て行かないようにしています。例えばシブヤ大学の事業なら、渋谷での事例をモデルとして他の都市へも展開していけば、と言われることが多いんですが、僕のほうからはそういう動きはしないんです。それでも、シブヤ大学のような事業は実際、全国のいろんなところに飛び火しているんですよね。
また例えば、私は渋谷区の“同性パートナーシップ条例”の委員をやらせていただいたんですが、この条例も、渋谷を前例としていろんな都市に飛び火しています。そういうふうに渋谷は発信力・影響力がある街だと何度も実感していて、だからこそ自分たちでモデルを他地域に持っていくのではなくて、渋谷で0から1をつくることにこだわっています。
みんなにとって重要な課題解決手段が渋谷で生まれれば、それは自然と他の都市へも広がっていくのだと思っています。
—— 飛び火させることよりも、火種をつくることに注力する。
そうですね。渋谷はそういうふうに期待されてる地域ということでもあるのだと思います。
つながりや居場所が必要な人たちのために、地域の交流の場をつくる
—— 渋谷未来デザインのフューチャーデザイナーとしては、どんな取り組みをされてきましたか?
いちばん印象に残っているのは、2019年に行なった、旧・笹塚敬老館の利活用のプロジェクトです。もともと地域のお年寄りの方々のための施設だったのですが老朽化によって閉鎖されることになり、そこを短い間ですが再活用してみようというものでした。
たとえば、私も運営に携わった「渋谷おとなりサンデー」では、イベントを通して地域の人と人との繋がりをつくることを目的としています。そこで地域の方々のコミュニケーションが生まれるのですが、一方で、そのつながりが継続していくためにも、“イベント型”ではなく“常設型”の場をつくっていくというアプローチも同時に必要だとずっと感じていました。そこで旧・笹塚敬老館を“まちのリビング“として地域に開放し、人と人との交流が日常的に生まれるような場にしようと、3ヶ月のあいだ実証実験をしたのがこのプロジェクトです。
結果から言うと、連日満員でとても盛況でした。朝はお子さんを幼稚園・保育園に送ったあとのお母さんたちが集まっておしゃべりをしたり、少しすると今度はお年寄りの方々がやって来てみんなでご飯を食べていたり、午後になると、幼稚園・保育園や小学校が終わった子どもたちがワーッと来て賑やかになる。夜になると社会人の方々がまちづくりのワークショップをやっていたり…というかたちで一日中いろんな人がそこに来るようになったんですね。もともとは一部のお年寄りの方々しか活用できていなかった施設だったんですが、地域のこうしたニーズをきちんと可視化できたという実感があります。
—— では今後、左京さん取り組んでいきたいことはどんなことですか?
いま特に注力しているプロジェクトのひとつは、いまお話しした旧・笹塚敬老館のプロジェクトの延長線上にあるもので、今年2月にオープンした「笹塚十号のいえ」という、街の人たちの交流の場をつくり運営するプロジェクトです。
このプロジェクトの中心となってるのは、笹幡地域包括支援センターのセンター長をされていた戸所さんという方で、つまり地域のお年寄りのことを誰よりもよく知っている方なんですね。地域包括支援センターは地域のお年寄りのよろず相談窓口みたいな場所で、月1,000件を超える相談があるんですが、どうしても行政の仕組みとルールの中では対応しきれないような支援が必要なケースもたくさんあるんです。たとえば、行政の支援というのは行政の窓口に相談に来て始まっていくものなので、そこまで来れない人の声というのが聞こえづらい。そこで戸所さんは、相談窓口まで来れない人を支援していく活動を、NPOを立ち上げてスタートしました。例えば電球を付け替えたり、スマホの使い方を教えたり、コロナの時期にはいろんな申請のサポートをしたり。
そんな折に、笹塚の十号通り商店街のちょうど真ん中くらいにあった八百屋さんがお店を閉じることになって、そこを交流の場にしようといういうことで「笹塚十号のいえ」プロジェクトが立ち上がり、私がその運営支援をしていくことになりました。
私も戸所さんも、いつかそういう場を開きたいと思っていたものの、コスト面を考えるとNPO1団体の力ではなかなか難しい。そこで一緒に運営してくれるNPO等を10団体集めてコストを分散し、クラウドファンディングも行なって今年2月のオープンに至りました。
旧・笹塚敬老館のときもそうでしたが、そういう場があると本当にいろんな方がふらっと訪れてくれるんです。そしてなかには、普段ほとんど誰とも会話することがないおひとり住まいの高齢者の方なども多いんですね。高齢者の孤立孤独の問題はすごく重要ですし、また、障害のある方や、あとはなかなか居場所のない子ども、あるいは子育ての中で孤立してしまっているお母さんとか。そういった方々の居場所を引き続きつくっていきたいです。
そうすると、それがまた一つの地域モデルとして渋谷から火種となって拡散していくのではないかと思ってます。
人を助ける人、を助けるという仕事
—— 左京さんは、そういった火種、つまり地域の課題やその解決策をどうやって見つけていくんですか?
自分が見つけるというよりは、もう見つけてる人がいて、その人のミッションに共感して一緒に取り組んでいく、という感覚です。だから、私自身は高齢者福祉の専門家でもないし、障害者福祉の専門家でもない、子育て支援の現場にいるわけでもないですが、それぞれの現場でなんとかしようと思ってる人が必ずいるんですよね。私はまずそういった人たちと出会っていく。それで、彼らの向き合ってる課題を理解したり、そのパッションに共感して一緒にやろうということになるんですね。
自分の役割は、“人を助ける人 を助ける人”だと思っています。人を助ける人っていっぱいいるんですよ。私では到底かなわないくらいの熱意と熱量でやってらっしゃる方がいっぱいいる。でもそういう活動をしてらっしゃる方にも、一方で苦手なこともあります。たとえば、高齢者支援のクオリティがものすごく高い一方で、実は組織運営が苦手とか、経営面で課題を抱えているとか。でも逆に私はそこに興味があるんですよね。そういった社会的な活動をどのように経営として両立させていくかっていうことに興味があるので、役割分担のパズルがしっかりはまるんです。
—— そして、熱量を持って課題解決に取り組まれている方々に対する尊敬の気持ちもすごく伝わってきます。
それはすごくありますよ。リスペクトもあるし、うまく言えないですが、その人たち自身が幸せであってほしいというような気持ちがあります。
みなさんがやりがいを感じながら、長く仕事ができて、それに続く人も出てきてしっかり根付いて広がっていくようになればと思っていますが、なかなか現実はそううまくいかないことも多いんです。やっぱりそういう社会的な活動を誰よりも率先して始める人たちって、身の危険を顧みずといいますか…、自分を犠牲にしてでもやっていくような強いパッションを持っている人が多いんですね。でもそれだけだとうまく回っていかないことも出てくるし、その人ひとりにしかできない仕事にもなってしまうので、助けることができる相手の数も限られてきます。だからもっと支援にあたる人を増やさなきゃいけないし、そのためにはもっとお金が必要なんですよね。そういうことの解決をしていくのが僕の役割なのだと思ってます。
—— 左京さんのような人がもっとたくさんいたら、もっと社会が変わっていくでしょうね。
そうですね。何か課題に対して強い思いを持って取り組んでいる人たちを支援したい、と思う人は、特にいまビジネスセクターで働いてる人の中にも結構多くいるんじゃないかと思っています。そういうことを仕事にしたいというニーズはきっとあるのだと思いますが、まだその仕組みが確立しきれていないのが現状です。だからそれも今後取り組んでいきたいことのひとつですね。